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宇宙とは私たち自身のこと

なかなかブログを書き込む暇もなく
時間の捻出が全く上手く行かない日々でしたが
ひとつ心が動けば
なんだって可能であることに気付けたこと。
私を応援してくれる宇宙そのものに感謝している。

私個人の役目、「伝える」ということは
特別重要な真の役目、スヴァダルマだと知っている。
つまりは、Jyotishメッセンジャーとしての役目は
神様からのプレゼントに他ならないので
感謝と祈りの形で、いつも皆様に繋がっている。

ダルマが生きられること=「幸運」そのもの。
今日、教わったJyotishクラスの中にも
とても納得深い、9室についての話が印象的だった。

特に今日は、सूख(スッカ) दूख (ドゥッカ)の話も
Jyotishのクンダリーを丁寧に読むことで
深い深い人間性と宇宙について知ることになった。
何てすごいんだ!!!←感動・・・☆☆☆☆☆


「宇宙」は誰もが単純に「私」と呼んでいるものと
何ら別のものでは無いし、イコールで結ばれている。
いつも、その真の意味を今までも様々現実的に
解き明かし、淡々とその秩序ある宇宙観を
Jyotishで見つめてきたからこその感動があった。

真の自然の力というのは、神のブレッシング(祝福)であり
「幸運」という呼び名を持つ、私たちの喜びを表す
ジャッジメントの称号を持っているものだ。

私たちは肉体として演じる生きる役者時間の中で、
あるがままの秩序、宇宙観の中において
つまりは、因果の自然の力を生き生かされている。
そんな神々しいこの世に宿りながら
単に、あの人は運がいいとか、あの時は運が悪かった〜とか
流れゆくドラマの主人公として、一喜一憂して生きている。

しかし、何が真実変わらずに在るものだろうか?
本当は唯一変わらないものは、「私」そのものだと
VedantaもJyotishも、明らかに教えてくれた。

まやかしではない、真実の「私」の無限性は
それは、ジーヴァ(個人)そのものであり、
個人という体験を赦し、何にも影響されずに在るもので
宇宙観と私がなんら別の要素のものでもないという真実。

人々の移り行く景色は偉大なるドラマで在って
不思議なほど無知の中に生まれる私たち。
もしも、宇宙観全てが個人であると真に悟ってしまえば
個になることは出来ないんだろうなぁとさえ感じる。
 
人間性とは?を明かす宇宙観と個々とのつながりを
見事に解き明かす、古代の聖賢らが伝えたJyotishに
いつの日も尊敬の気持ちで一杯になる。
 
秩序のままに、体験の渦中に形を変えていく経験らを
クンダリーの中の宇宙360°の見解が揚々と与え教えている、
その経験実践は、本当に驚くことばかりだったけれど。

今は、それが当たり前だと思えるほどに
Jyotishが照らし見せてくれることは真実そのものだと
私の中に落ち着いている。

繊細なる宇宙観は「心」を遣わねば
惑星らの意図をわかってはあげられない。
神話があったり、哲学があったりするのも
ひとつの心の鍛錬になるし、
人間は、「心」という繊細な道具を扱える生き物。
それを宇宙観に照らし合わせ、語り合えないのなら
Jyotishの大いなる光としてのクンダリーが
ただの幾可学模様にしか見えないだろう。

そういった大切な意味を知れば知るほど
宇宙と私達がより一層、身近な存在だとわかってきた。
 
Jyotishが、人々の人生の神秘を明らかにしていく。
自身を知る。秩序を知る。祈りを知る。
行いは、常に時間という束縛の中で
自然に導かれていることを
静寂な平安なる心で過ごしていけることは
何よりの宝物であるように思う。

因果を知り、行いを見定めたら
もう祈らずにはいられない。
個人=宇宙そのものの象徴というのが
Jyotishから学んでいられる幸運は
私がスヴァダルマに生かされている証でもある。
明日もレッスンがあるので、今日はここまで。
感謝の中で。

グルジーと大いなるシヴァ様の恩寵に感謝をこめて。
Jyotish KIMI

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